ミヤネ屋 気象予報士 蓬莱大介 ほうらいだいすけ 俳優 柔道二段

蓬莱大介さん、ブレイク寸前!その裏には並々ならぬ努力が

蓬莱大介さんは人気情報番組ミヤネ屋の中で気象予報士として活躍されていますが、ここまで来るのには実は人並みならない努力がありました。今ブレイク中の気象予報士として要チェックの蓬莱大介さんがここに登場するまでの興味あるストーリーをご紹介しましょう。

 

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柔道二段

蓬莱大介さんは1982年4月23日生まれ、兵庫県明石市出身です。身長は181cmと長身、体重は67kgの一見やせスマート型ですが、そのルックスからは想像できないポテンシャルをお持ちです。柔道六段の父の影響もあり10年に渡って柔道にいそしんでおり、柔道二段の実力の持ち主です。兵庫県内で三位入賞の実力です。すごいです。気象予報士としてここまでブレイクするまでには数々の辛い事、頑張らねばならないことがあったと思うのですが、全ての原動力はこの柔道で培われた精神力がベースになっているのではないかと私は思っています。おまえは何を言っているんだという声が聞こえてきますが、それほどまでに蓬莱大介さんがテレビで活躍するまでのストーリーは興味深く、力強いメッセージ性がを秘めているのです。

役者志望 3日間本屋への旅

学生の頃から「将来は何かを伝える仕事をしたい」と思っていた蓬莱さんは、明石西高校から早稲田の政治経済学部に入り卒業したものの、普通の学生のような企業への就職活動はせず、ただ漠然と「人に何かを伝える仕事」と模索していたのだそうです。やがて芸能事務所に所属し、役者を目指して活動するも、会社が潰れたりで苦労の連続。次に入った芸能事務所ではマネージャーが急にいなくなって自らがマネージャー業までをこなすことになり、気が付いてみれば40人ものタレントを管理する仕事をしていたそうです。人に何かを伝える仕事がしたかったのにこれでは本末転倒と考え始めた蓬莱さんは、本屋さんへ3日間通って将来を見直す決意をします。一日目は興味のある演劇関係の本、そして二日目には資格取得関係の本、具体的には宅建と気象予報士の本を見たそうです。

伝え方の違い に目覚める

そんな中で、元々大自然が好きだった蓬莱さんは、父親の仕事関連の宅建の資格より、気象予報士に興味を持ち始めます。絶対的な「天気」という材料は同じなのに、人それぞれ伝え方が違うという点に一番興味を惹かれたそうです。私たちが見てみてもわかりますが、天気の伝え方はその番組によっていろいろな形がありますよね。伝える人によっても違いますし、番組の格や構成によっても微妙に違いが表現されます。蓬莱さんはこの伝え方の違いが表現できる点に興味を持ちました。

気象予報士の現実

気象予報士になるための資格取得はかなり難しく、そして仮に資格が取得できたとしても、キャスターとして活躍できるのは1-2割の人だと言われています。出演できる番組にはそれ自体に絶対的な枠があり、多くの番組では人気の看板キャスターが存在しています。これが現実ですが、蓬莱さんは夢の実現に向かって突き進みました。気象予報士の資格は三回の受験で合格し、見事気象予報士として活動できる準備が整いました。でも、次に待ち受けていたのは「どうすれば人気気象予報士になれるか」という関門でした。多くの人が資格を取得するもデビューできずにいるのは、ここをクリアできていないからなのです。蓬莱さんは本能的に自分を売り込む動きを始めました。

動画撮影とスケッチ

蓬莱さんはやはりやることが違いました。自らでテレビ番組を作ってしまえ、と、三脚片手に自らで天気予報のビデオを作りはじめます。オリジナリティーを出すために、自らで何枚もスケッチを描き、めくりながら番組さながらに動画を作成し、それを売り込みました。何社かを回る間に撮影された動画が関係者の目に留まり、かんさい情報ネットten!への出演を果たします。スケッチ片手の予報は人気を博し、情報ライブミヤネ屋でブレイクしました。

宮根さんとのかけあい

ミヤネ屋は生番組です。当然、MCである宮根さんからの「いじり」が入ります。当初はいじめられっぱなしだった蓬莱さんも、最近では反撃に出るほどに成長し、益々天気のコーナーが面白くなってきたと評判です。街を歩いているとおばちゃんたちから「宮根さんに負けたらアカンで」と声をかけられるまでの人気者となった蓬莱大介さん。これからも楽しくてわかりやすい天気のお話を私たちに届けて下さいね。

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